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見習い魔女

2010/03/29
昨日は、我が家の魔女(母)のもとを訪れた。
3時間ほど話し合ったことを、超コンパクトにまとめてみる。

私:「万人にとっての真実」 があると信じて生きていきたい。
母:そんなものを追求するのは傲慢。いつか一人ぼっちになるよ。
私:妥協はしたくない。またモチベーションが下がってしまう。
母:それなら 「真実」 ではなくて 「本質」 という言葉を使いなさい。

目的だけに執着してしまうと、現実は常に不幸な状態になるから、
それに近付く過程に喜びを見出しなさい、ということかな?
一晩寝かせて、やっと納得できました。幸せはいつもここにある。

・・・でも本当は、やっぱり私は間違っていないと思っている。
脇道に逸れた答えに甘んじてしまったため、違和感が消えない。
私が言いたかったことを、正確に伝えられなかっただけで、
テレパシーが使えれば納得してくれるはず。言葉の限界を感じます。

この場合 「真実」 という言葉の解釈が異なるからなんですよね。
「真実」 が見当たらないから外側の世界に求めるのではなくて、
内側にある 「真実」 を偏りなく形作るために世界を見るんです。
こんな真逆に伝わってしまうほど悲しいことはありません。
また、その自我を絶対視して相手に押しつける行為でもありません。
より広く他人を受容して自分の判断基準とすることが第一です。

でも確かに 「万人にとっての真実」 を把握するなんて不可能だとは思う。
この世界に存在する全てのものは、真実に包括されているのだから。
(結局グダグダと長くなって終わらないので止めます・・・)

私は、いつも新しい命題を携えて実家に帰り、母に投げかけてみる。
昔の偉い人たちが散々語り尽くしたであろう問答を、
無学な私たち親子は、飽きもせず繰り返して楽しんでいます。

ここで生じる相違は、例えば山の何合目まで登っているか?の違いだと思う。
母は経験を思い出しながら生きてて、私は経験を求めながら生きてる。
どちらも正しいけれど、適切な時期に相応な選択をしなければならない。

別れ際に交わす 「毎日を楽しく過ごそうね!」 が母と私の合言葉。
昨日でも明日でもなく、いつも最高の今日に感謝しています。
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14:28 thinking | コメント(0) | トラックバック(0)
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