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神様が見えたら、その次は?

2010/04/19
ひとつの答えが出ました。
宗教と心理学の本質が完全に一致すると感じました。
お暇な方は妄想にお付き合い下さい。

神様は、脳内の 「自分の意思が及ばない領域」 に存在していて、
その本質は 「正解への最短距離を導き出せる能力」 だと感じます。
(ここで 「正解って何?」 という新たな問いが生まれますが)
だから宗教で 「神は自らの内に宿る」 と表現されるのだと思います。
懺悔や祈りのような内省は、その領域にアクセスしようとする方法。

ヒトの能力の可能性は、サヴァン症候群のような形で垣間見えます。
コンピュータ並みの計算力と記憶力、精巧で緻密な身体能力、芸術の才能。
でもなぜか、その可能性は押さえつけられて生まれてきます。

例えばヒトの指の数や目の形のような形態学的なプログラムが、
長い歴史にわたって正確にコピーされ続けているように、
古来からのヒトの精神構造も、根本は同じなのでしょうね。
だから、ヒトはいつの時代も同じことで悩み苦しむのでしょうね。
(もしかしたらヒト以外でも共通しているかも知れないです)

ここで、谷川俊太郎さんの詩を引用。

宿題

目をつぶっていると
神様が見えた

うす目をあいたら
神様は見えなくなった

はっきりと目をあいて
神様は見えるか見えないか
それが宿題


でも常に神様が見えている状態だと、不幸なことは起こらないはず。
そして、ヒトは幸せになるために生きているのならば、
この宿題を終えた時、今度は何のために生きればいいのでしょう?

ヒトは 「完全」 を求めて生きる。
生きるために 「不完全」 で生まれてくる。

だから私にとっての神様は、
たまに気配を感じるぐらいでちょうど良い。
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01:37 thinking | コメント(0) | トラックバック(0)
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