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雨ニモマケズ

2010/05/26
どんな私も、すべて私でした。
私はこれまで、たくさんの人を傷つけてきました。

雨ニモマケズ_edited-1


たくさんの人の情熱を鼻で笑ってきた。
たくさんの人の慈悲を、当然のように受け流してきた。
たくさんの人の愛情を踏みにじってきた。
たくさんの人の真剣な夢を、冷めた目で馬鹿にしてきた。

それは、自分の人生に正面から向き合う強さが無かったから。
自分が傷つかないように、他人を無視してきた。

私はもう、痛みに耐えられる強さを身に付けられたはず。
自分の罪深さを鑑みると、今後どれほど傷つくことがあろうとも、
ただ静かに笑っていることが、人としての筋だと思う。


雨ニモマケズ

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず

野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず

そういうものに わたしは なりたい



私は今、心から思う。
そういう人に、私はなりたい。
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22:37 thinking | コメント(2) | トラックバック(0)
コメント
でくのぼう。
昨晩、私は泣きならが主人に、アメニモマケズの詩の中にある“でくのぼう”のことを話していました。

他人がどう私を判断しようとも、私は自分に正直にいたい、これからは本当にそう生きたいんだと話をしていました。(かくかくしかじかありましてね^^;)

宮沢賢治のアメニモマケズはとても考えさせられる世界感がありますね。

罪とは、神に顔を向けずに生きていることなのだろうと思います。神とか書くとなんだかおかしな感じですがね。

自分の未熟さ、至らなさのすべては、愛を顕現しようとするエネルギーの未熟な状態なのかもしれませんね。

成熟がどのようなものなのかをこの身を通して学んでいけたらなって思います。

お互い、ファイト!ですね(^^)
いつもありがとうございます!
こんばんは!
何だか凄いタイミングですねぇ! 不思議です~。

> 罪とは、神に顔を向けずに生きていることなのだろうと思います。
そして実は、自分でも罪だと気付いてるはずなんですよね。
分かってるのに顔を向けられない原因は、怠け心?欲望?

> 自分の未熟さ、至らなさのすべては、
> 愛を顕現しようとするエネルギーの未熟な状態なのかもしれませんね。
その通りだと感じます。先ほどの問いの答えになりますね。
エネルギー不足だから動けないし、他力本願になってしまう。
とすると、「未熟な自分に相応の行動をとった」、
「エネルギーが足りないゆえの自然の摂理だった」、
と考えられ、ホッとします☆ 私に必要な過程だったんですね。

> 成熟がどのようなものなのかをこの身を通して学んでいけたらなって思います。
私もまさに、そう思っているところです!
体系的な内面を構築していきたいです。私が欲しいのは経験です!

今の私にちょうど良い言葉をありがとうございました^^
毎日を楽しみましょうね~☆

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