Empathy or Sympathy
2011/02/25
「共感」という日本語を調べると、
シンパシー(sympathy)とエンパシー(empathy)
という2つの英語表現に出会います。
改めて今、その違いを明確にしておきたいと思いました。
以下、様々なサイトから考え方を拝借して、
自分の言葉による文章として再構築したものです。
国語の問題でいうと、「その時、主人公はどんな気持ちでしたか?」はシンパシー、
「貴方が主人公の立場だったら、どんな気持ちになりますか?」はエンパシー。
つまり、相手の気持ちが分かるという前提で考えるのがシンパシー、
相手の気持ちは分からないという前提で考えるのがエンパシー。
その違いを私の中の辞書で定義すると、次のようになりました。
シンパシー:感情移入による共感、情緒的、相手に同調して同じ意見をもつ
エンパシー:自己移入による共感、論理的、個々で異なる意見にもなりうる
これを日本人のように曖昧にしてしまうと、ヘトヘトに疲れてしまいますが、
欧米人(アングロサクソン系?)はその切り替えが上手いということが、
sympathy と empathy という言葉で明確に区別していることから分かります。
すると、グローバルコミュニケーションにおいて重要となる技法はエンパシーですね。
エンパシーを感じる相手は自分と同等とみなし、コミュニケーションをとりうる。
しかし、エンパシーを感じられないと差別意識というものが生じる。
エンパシーを感じない相手には、まず相手の中の人間性を掘り下げながら、
こちらがエンパシーを感じられる相手の中の魅力要素を見つけ、
相手に通じうる言葉を選別して、相手にもエンパシーを感じさせていく。
一方で、行き過ぎたシンパシーは危険を伴うように思います。
シンパシーを持てる相手というのは、ある意味では自己同一視された相手であり、
他者の中の自分自身を愛する、すなわち自己愛ということになります。
そして時には、自分と同じほど「あくどい」敵対的な相手に抱く場合もあるとのこと。
どうしようもなく好きな相手か、どうしようもなく憎い相手に対して、
何らかのシンパシーが作用しているようです。
日々の気付きについても、押しつけるのは厳禁ということが分かります。
「私が感じたようなことを、当然みんなも感じているだろう」
という考え方でいては学びに繋がらず、自分自身がおかしな展開になっていく。
自他を区別して観察する、という科学の基本となる態度が必要なようです。
用途さえ間違わなければ、どちらも素晴らしい能力ですね。
シンパシーは自分自身を癒すために、エンパシーは豊かな社会生活のために。
シンパシー(sympathy)とエンパシー(empathy)
という2つの英語表現に出会います。
改めて今、その違いを明確にしておきたいと思いました。
以下、様々なサイトから考え方を拝借して、
自分の言葉による文章として再構築したものです。
国語の問題でいうと、「その時、主人公はどんな気持ちでしたか?」はシンパシー、
「貴方が主人公の立場だったら、どんな気持ちになりますか?」はエンパシー。
つまり、相手の気持ちが分かるという前提で考えるのがシンパシー、
相手の気持ちは分からないという前提で考えるのがエンパシー。
その違いを私の中の辞書で定義すると、次のようになりました。
シンパシー:感情移入による共感、情緒的、相手に同調して同じ意見をもつ
エンパシー:自己移入による共感、論理的、個々で異なる意見にもなりうる
これを日本人のように曖昧にしてしまうと、ヘトヘトに疲れてしまいますが、
欧米人(アングロサクソン系?)はその切り替えが上手いということが、
sympathy と empathy という言葉で明確に区別していることから分かります。
すると、グローバルコミュニケーションにおいて重要となる技法はエンパシーですね。
エンパシーを感じる相手は自分と同等とみなし、コミュニケーションをとりうる。
しかし、エンパシーを感じられないと差別意識というものが生じる。
エンパシーを感じない相手には、まず相手の中の人間性を掘り下げながら、
こちらがエンパシーを感じられる相手の中の魅力要素を見つけ、
相手に通じうる言葉を選別して、相手にもエンパシーを感じさせていく。
一方で、行き過ぎたシンパシーは危険を伴うように思います。
シンパシーを持てる相手というのは、ある意味では自己同一視された相手であり、
他者の中の自分自身を愛する、すなわち自己愛ということになります。
そして時には、自分と同じほど「あくどい」敵対的な相手に抱く場合もあるとのこと。
どうしようもなく好きな相手か、どうしようもなく憎い相手に対して、
何らかのシンパシーが作用しているようです。
日々の気付きについても、押しつけるのは厳禁ということが分かります。
「私が感じたようなことを、当然みんなも感じているだろう」
という考え方でいては学びに繋がらず、自分自身がおかしな展開になっていく。
自他を区別して観察する、という科学の基本となる態度が必要なようです。
用途さえ間違わなければ、どちらも素晴らしい能力ですね。
シンパシーは自分自身を癒すために、エンパシーは豊かな社会生活のために。
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共感力の記事でも「なるほど!」と思ったのですが、
昔から「シンパシーを感じる」とはよく言うのに「エンパシーを感じる」とは
日本人はなかなか言わなかったように思いました。
特に女性は昔から、「シンパシーを感じない相手」に対しては
子供じみた「仲間はずれ」のようなことをする場合が多かったですね。
「エンパシーをもてる」相手には「貴女はそう思うのね」と、
違う意見にでも耳を傾けることができ、
互いを認め合うことのできる「大人同士の付き合い」が出来ると思います。
自分のこれまでの人間関係において、ずっと疑問だったことが、
拝読してすごくスッキリ整理できた気がしました。
有難うございました~☆
リンク、勝手に貼らせていただきましたが
ご迷惑でしたら遠慮なさらず仰ってくださいね。
ネットの世界では、既に色々なことを知っている人が自由に情報を発信していて、
問いに対する答えが必ず見つかるので、とてもありがたいです。
> 昔から「シンパシーを感じる」とはよく言うのに「エンパシーを感じる」とは
> 日本人はなかなか言わなかったように思いました。
確かに!日本人の傾向と、言葉の用法が合っていたのですね。
これからは、洋の東西を問わず、有意義な思想は取り入れていければ良いですね。
ふと、wildroseさんのご来訪と、この記事の内容が相まって、
「私はマイケル・ジャクソンになりたい。」と必死で想っていた頃の気持ちが蘇りました。
大袈裟かも知れませんが、あの頃の理想の自分がここにいるように感じられました。
私の強烈なシンパシーは、全てあの日から始まりましたから・・・
なので、そんな今日の車内BGMは「Heal the World」です *^^*
これからも、どうぞ宜しくお願い致します♪
試行錯誤、そうですね、いろいろ考えていたりします。でも、自分が成長するためのことですので、私なりにやっていきます。いつかもっと笑顔になっるように。。。
ticaさんのセンス、とっても素晴らしいものをお持ちだと感じています。ぐんぐん、ぐんぐん、ジャックと豆の木みたいに、伸ばしていけたらいいですね!応援しています(^O^)
それでは!また!!(*^_^*)
私の言葉はいつも思い付きで無責任ですが、
それゆえブログという手段が合ってるのかも知れません^^;
これからも義務感によって歪ませることなく、正直に綴っていきます。
ahava@房さんが自由で豊かな日々を過ごせますよう、お祈り致します^^
それはいいことですね。
私は新しいテーマが見えてきたので、それに向かってまず行動!ってところです(*^_^*)
>ahava@房さんが自由で豊かな日々を過ごせますよう、お祈り致します^^
素敵な言葉をどうもありがとうございます。
ticaさんも、素晴らしき日々を過ごせる、そんな明るい心でいつもいられますように・・・
私も影ながら祈っていますね!
それでは~!